すみのあか
塵も積もれば山となる。垢も溜まれば...何となる?
終わりの見えないループ。繰り返している内にコースの隅に溜まりまくった垢みたいな考えをこね回して形にしてみよう。
※内容は時期、気温、筆者の気分等によって変化します。



*まだわからない

どうしようもなさそうな時、うまくいって天狗になりそうな時。“まだわからない”。心の中でこう呟いてみます。本当は成功も失敗もないような気がするのです。ただ、僕が恐れているのは終わらせてしまうことで、そうなりそうな時、心のバランスを取り戻してくれるような言葉です。
実は、続けていくというのは全然かっこよくなくて、みっともなくて、汚いことなのかもしれません。それでも価値があることなのです。って死ぬ直前に言えたらかっこいいでしょ?そんなレベルでしか言えませんが、おすすめします。だってまだまだわからないですよね。


*僕は水

人のエネルギーはタンクに入っているのではなく、川のように常に流れているのだと感じます。流れを止めると淀み、腐っていく。僕は休み過ぎると次動き出すのがしんどかったりするのですが、こういうことなんじゃないかな、と思っています。
だから、その日に使えるエネルギーはなるべくその日のうちに使いきった方がいい。残りが0に近ければ近いほどいいように感じます。使った分だけ、次の朝入ってくる量も多くなるのかもしれません。


*自信の元

小さな子の子守りをする時、大抵わがままを言ったり、危ないことをするものですが、そういう時はなるべくその子がやりたいようにできるよう見守ることにしています。というのは、小さい頃に感じる「僕には何でもできるんだ!」という勘違いが将来自信の元になっていくのだと思うのです。
いや、そのままほっといたら将来手の着けられないヤンキーになってしまうのでは...と心配にもなりますが、大丈夫。人生には無数の壁があります。いつかぶつかって、夢から覚めるでしょう。それだけでなく、さらにどん底まで落とされてしまうこともあるかもしれません。そこで泣き崩れてしまっても、“あの時確かに何でもできた感覚”が残っているのといないのとでは、違ってくると思うのです。
思えばいい歳こいた僕も未だに遊んでいます。音楽や本や写真なんかに触れて、粘土をこねるように想像すること。大人の僕がやりたい放題何でもできる場なのだと思います。


*誰かの視線

今の時点で、自発性というものが僕の中にあるのかというと、全然ないか、あっても心の全体の0.1%くらいだと感じています。何かに見られていないと絶対に動かない自信すらあります。その“何か”にあたるものによってその人の自発性と呼ばれているものの質が変わってくるのだと思います。

誰にも見られていなくても、誰に見られていても、私はそれをできます。

目には見えない存在の視線を感じられること。もしくは、そんな存在にいい贈り物になればな、というイメージを持ってみます。神様に、死んだおじいちゃんに、ずっと寝ていた僕に、大好きな人に届いて、御供物にでもして頂ければなあ、という風に。
こう考えるとどこまでも何かの為で、させられているようで、受け身なのですが、時間もお金も労力も惜しまず動く姿は端から見れば自発的に見えるかもしれないのです。しめしめ。ではなく、人の為、自分の為、どちらでもあるというのが重くもなく軽くもなく丁度いい働きなのかもしれませんね。


*化物と僕

僕の心の中には化物がいます。そいつは夢であり、気分であり、あなたに見ているものとも言えるかもしれません。

元々ひとつだった僕と化物。彼も元々は化物じゃなかったのですが。いつのまにか強く大きくなってしまいました。

こいつは今まで育ってきた中で思うようにできなかったこと。特に他者との関係の中で築けなかったことを何とかして取り戻そうとして暴れます。僕の化物は甘えたがりで、餌をくれそうな人を見つけると飛びついてしまいます。
でもきっと甘えさせてもらえたところで満足はしないでしょう。こいつとこれからどうやって暮らしていくか。どうやってひとつに戻るか。それが僕の課題なのかもしれません。


*ページを作るということ
ホームページの醍醐味は、ページを作ることそれ自体なのではないでしょうか。
ページを作るにあたって使われる要素。ページ全体の枠の大きさ、背景、言葉を配置するなら言葉の位置、大きさ、字体、色など。それらは丁度、箱庭における器、砂、人形他の各アイテムに相当するものでしょう。ホームページ作りは電子箱庭と言えるかもしれません。ただし、本来の箱庭に比べて圧倒的に身体性に欠けるところが少々弱い気がします。感触が無いのです。
ただそれでもページを作っていく毎に、確かに"癒える"感覚があります。言葉と背景が呼応する感じ。登場人物が生き生きとした自我を持っているかのような感じ。そういった感覚が、心の深い部分が動いていることを知らせてくれます。それを知ることで、なんだかすっと楽になるのです。



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